愛の讃歌(賛歌)の歌詞、無料の試聴ダウンロードサイトの紹介、エディットピアフの生涯など、『愛の讃歌』にまつわる総合情報提供サイトです
エディットピアフは『愛の讃歌』を
歌っていたシャンソン歌手の大御所です。
2007年に映画『エディット・ピアフ 愛の讃歌』
が上演され再び注目を集めています。
愛の讃歌(Hymne a l'amour)の誕生のきっかけは、なんといっても、エディットピアフが生涯で最も愛したマルセル・セルダンの飛行機事故死です。
彼女は、彼の死の受け入れをかたくなに拒否し、妹のシモーヌに3脚の円テーブルを買ってくるように言いつける。そして、そのテーブルにひじを付き、マルセルが帰ってくるよう念じ始める。
テーブルに向かって必死に呼びかけるピアフに、シモーヌはしばしばマルセルの霊を装い、時には慰め、時には元気付けていたようです。
それは、交霊会ともいわれるようになり、ピアフの知人を交えて何人もの人で行うときもありました。
まだまだ、セルダンの帰宅を待ち望んでいたピアフは、突然、シモーヌに愛の讃歌のメロディーを聞かせる。
また題名も「愛の讃歌」だと決まっていると言う。
ピアフはよくあてずっぽうに歌うことがしばしばあったようです。
これも突然思いついたようです。
そのことを「モーリス・シュバリエとならんで、彼女はさりげないものから出発して、立派な結果に到達する唯一の人間だ」と言われたこともあります。
そして、歌詞は、妹のシモーヌが原型を作りました。
その突然のメロディーと、題名、シモーヌが温めていた歌詞が今もなお世界中の人々に親しまれている『Hymne a l'amour 愛の讃歌』となりました。
恋人、マルセルの死からずっと人前で歌っていなかったピアフは愛の讃歌でリサイタルを開く決意をします。
しかもその場所はクラシック音楽の殿堂である「プレール座」。
当事はそこでシャンソンは一度も歌われていませんでした。
2時間以上に渡る公演の結果はもちろん大成功。
愛の讃歌が初めて公けで歌われた出来事でした。
愛の讃歌.comを検索
カテゴリー